今日から派遣社員

派遣社員を11年間しました。私の派遣社員での経験を小説にしていきたいと思います。これから派遣社員になろうと思っている人の参考になれば幸いです。私の経験に基づいた小説ですが登場する会社や人物は架空のものです。

(小説)今日から派遣第2話「入社」①

それから数日僕はハローワークに顔を出しながら面接の結果を待った。ハローワークから帰って家でTVを見ながらカップラーメンを食べていると玄関のポストに何かが入った音がした。僕は玄関に小走りに向かいポストの封書を手に取った。裏面にエアカーゴクリエイティブの記載があった。ついに面接結果が来た。急いで封をきり中の書類を見た。

”審査の結果、白浜様を契約社員として採用することに決定いたしました”と記載されていた。僕はどうやら採用されたようだ。一気に肩の力が抜けた。とりあえず収入のメドは立って今日はゆっくり寝れる。それだけでも前進だ。

母が仕事で返ってきたので合格したことを伝えると一安心した表情でとても喜んだ。面接の後、家を出て県外に出るかもしれないことを相談した時はあまりいい顔はしなかったがもし合格したら転勤の辞令が出たと思って頑張ってきなさいと言われた。

ウチは母子家庭だ。兄はすでに県外で働いていた。地元に残るべきなのはわかっているが地元にいてもいい仕事がなく希望がない。父のほうの叔母にも

「光一(僕の名前)は優しいから親のことを考えているだろうけど自分の人生を第一に考えなさい」

と言われた。叔母は叔母自信が親のために自分は犠牲になったと思っていたようだ。その経験から僕にそれを伝えたかったようだ。僕は僕なりに悩んだ末にエアカーゴクリエイティブに入社することに決めた。家の周りには母の幼馴染がいるし、隣にはじいちゃんばあちゃんや叔父が住んでいるから母の事はまかせよう。それにこのまま地元に残って親をうらむような人間になるのが怖かったし、大学の時から独立するのが夢だった。今思うとどこかにそれがあるものだから全力でやったつもりだった就活も失敗したのだろう。この時僕は県外でお金を貯めて地元で起業しようとひそかに考えていた。

 

後日会社から送られてきた片道の航空券を握りしめて僕はスーツ姿で家の玄関に立っていた。荷物はボストンバック1つだ。この時、数週間前に面接を受けた宮田リサイクルカンパニーの吉川専務を思い出した。僕もボストンバック1つもって地元を出るわけだ。もう25歳だけど吉川専務を見返せすことができる男になれるのかわからないけどそれぐらいの気持ちはあった。

玄関を出ると僕の家の前には小さな下り坂があり、そこから田んぼ道が見える。残暑で道がユラユラしている。僕が坂を下り終えて後ろを振り返ると母が手を振っていた。たぶんめちゃくちゃ寂しいだろうと思うけど笑顔だった。気弱なくせに強い人だ。あのセミの鳴き声を聞きながら見た光景はずっと忘れないだろう。

地元の空港まで電車で20分、高速バスで40分だ。僕は高速バスのなかで母が持たせてくれた弁当を包んでいたハンカチを広げた。そこに小さなメモ用紙が入っていた。そこには

”光一、お母さんのことは心配いらないから自分の道を行きなさい”と書かれていた。母は母で僕の将来をかなり気にかけていたのだろう。

僕は離れる地元の風景をみながら愛情というワサビ入りのおにぎりにかぶりつき、鼻をおさえながらエアカーゴクリエイティブのある国際空港へ向かった。

(小説)今日から派遣第1話「派遣社員になったきっかけ」⑤

今日は「株式会社エアカーゴクリエイティブ」の面接日だ。正社員ではなく契約社員募集だったが、自分のスキルが生かせる仕事でなかなかの高収入が狙えるだろうと思って応募した。まずは履歴書を送ってくださいということだったので事前に履歴書を送ったところ、ぜひ面接させてくださいということになった。しかも出張面接ということで僕の地元まで面接官が来てくれることになった。場所は中心街にある駅前ホテルのカフェだ。

僕はスーツに身を包んでホテルのカフェで待った。この日は8月初旬で猛暑だった。暑さと緊張でホテルに来るまでに汗だくになってしまった。汗をぬぐいながら自己紹介やら自己アピールやらを頭の中で反復する。上着を脱ぎたかったが脱ぐか脱がないか迷っていたら、年配の男性二人が声をかけてきた。

「白浜さんですか?」

「はい」

「エアカーゴクリエイティブ人事担当の佐々岡です」

「人事も兼任している専務の峰山です」

面接官の二人だった。人事の佐々岡さんはアラフィフくらいで色黒で濃紺のスーツを着た笑顔がさわやかな男性だった。専務の峰山さんは白髪の横分けが特徴的で小柄でグレーのスーツを着ていた。後にわかったことだが峰山さんは大手航空会社を定年後に天下り的にエアカーゴクリエイティブにきた人だった。

「今日面接させていただきます白浜です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

僕は挨拶をして、面接官が座るのを確認して自分も椅子に座った。

フォークリフトオペレーター希望ということですよね。送っていただいた履歴書を見ながらいくつか質問させていただきますね」

佐々岡さんはそういうと僕の履歴書をカバンからだしてテーブルに広げた。そして面接が始まった。

「ふんふんふん。地元の大学出てるんですね。それでフォークリフト免許をもってるんだ。うんうん。この3年間したアルバイトの物流会社ではどんな仕事をしていたんですか?」

「スーパー、コンビニに納品する冷蔵食品を扱う物流会社なんですが、夜勤で仕分け、配送、クレーム処理をしていました」

「へぇ。それじゃ一応倉庫内業務はなんでもしてたんだ」

「はい」

「何でアルバイトだったんですか?」

一番されたくない質問だったが、当然されるであろう質問だった。僕はもう正直に答えた。

「大学の就職活動で内定をもらえずに卒業して、そのまま地元にあった物流会社にバイトで入りました」

本当ならここでプラスになるようなうまい切り返しをしなければならない所だが、まったく思い浮かばなかったので事実をありのまま伝えた。

「ここはもう辞めてるんですか?」

「はい」

「なぜ辞めたんですか?」

フォークリフトの実務経験を生かしたキャリアップをしたいと思って退職しました。ちょうど後輩のバイトの子がある程度全部仕事を覚えたのでタイミング的にいいかなと思いまして」

僕はウソをついた。ここで正直にホントの事をいう勇気は僕にはなかった。

「そうですか。その会社で正社員にはなれなかったのですか?」

「バイトから正社員になった前例のない会社だったのでそういう話も出なかったです」

「うーん。3年の間に就活はしましたか?」

「いいえ。していません」

完全に嫌な流れになってしまった。重苦しい面接の空気が僕の肩にのしかかってきた。店内に流れるオルゴールの曲がゆがんで聞こえた。面接官の二人は明らかに曇った顔をしている。バイト時代に就活をしなかったのを今更ながら僕は後悔した。やばい。どうする。こめかみが熱くなってきた。

「白浜さんがこれまでで頑張ったことはありますか?」

佐々岡さんは僕の良い所を探ろうとしていた。僕の良い所、頑張った所か。僕が頑張った所というと学生時代の野球しかない。

「僕は小学生から高校卒業まで9年間野球をしていました。小学生の時はエースピッチャーで中学の時は外野手で卒業時には何校かスカウトされました。行きたい高校の野球部に入部しましたが1年生の秋に肩の筋を痛めてしまって、ほとんどまともに投げれなくなってしまったんですけど最後まで続けました。ボール広いや相手ピッチャーのクセを探したりしてチームに貢献したり、バッティングだけで試合前の最終メンバー選考まで残っていました」

「野球部だったんだ。僕も野球好きなんだよ。ウチの会社はスポーツ好きな人多いよ。1年に1回ソフトボール大会もあるしね。役員の寺島ってのがいるんだけど相当野球好きだよ」

ちょっと場が明るくなった。とりあえずはよかった。それからしばらく僕たちは野球の話をした。そして佐々岡さんは会社の話を始めた。

「ウチの会社は今、航空整備の分野で海外の会社とも取引しています。海外に興味がありますか?

「海外に行ったことはないですけど興味はあります」

「日本の経済は今停滞してるけど、これからどこの国の経済が伸びると思いますか?」

「中国だと思います」

「中国の次に伸びそうな国は思いつきますか?」

「うーん。たぶんインドです」

「ほう」

ほとんど相づちしか打たなかった専務の峰山さんが少し前のめりになった。僕にちょっと運が味方し始めた。なぜなら僕はたまたま数日前にヒマつぶしにテレビのビジネス番組を観ていたからだ。インドの次はどこ?という質問にもブラジルかアフリカですねなどと番組でキャスターが言っていたことをそのまま言った。

「なるほどね」

専務の峰山さんの相づちが次第に大きくなっていった。それから峰山さんは日本経済の話を始めた。それはほとんど日本経済に対するグチだった。峰山さんの若い頃は給料もボーナスもどんどん上がっていって貯金する人なんてほとんどいなかったことや今の若い子は大変だよなというような話だった。それからなぜか日本の歴史に話がそれていった。

「日本史、興味ある?」

「はぁ」

僕は日本史にまったく興味はなかったが一応明言はさけた。それから峰山さんは日本史のついて語り始めた。峰山さんはなんと日本史マニアというとてもマニアックな趣味を持っていた。明治維新から江戸時代にさかのぼってそこから陶器の話になり伊万里焼やら薩摩焼やらが出てきて僕は頭がパンクしそうになった。さすがに相づちだけで乗り切れる話題ではない。しかし峰山さんは気持ちよさそうな至福の顔で話していた。しかもそれが30分も続いた。佐々岡さんも上司の話にうなづいていたが、もうそこらへんでというような表情になってきてバツが悪そうにしている。よその会社から突然きて、いきなり上司になった人へのちょっとした壁のようなものを僕は少し垣間見た気がした。

「それじゃ面接はこの辺でよろしいですか」

佐々岡さんは峰山さんに問いかけた。

「うん。そうだね」

どうやら面接は終了のようだ。

「それじゃ面接結果は1週間後に郵送で送りますので」

「わかりました。本日は面接のお時間いただきありがとうございました」

僕は深々と頭を下げると面接官の二人は会釈をしてホテルを出ると駅の方へ向かっていった。二人の姿が見えなくなったとたん喉に激痛が走った。水を飲む余裕もなく喉がカラカラになっていた。そしてスーツの上着まで脇汗がにじんでいるのが見なくてもわかった。時計に目をやると面接開始から2時間近く立っていて、それを見て僕はぐったりした。30分くらいで終わると思ったのがこんなにかかるなんて想定外だ。すぐに帰る気にはならずにアイスコーヒーを頼んでしばらく上着を脱いでぼうぜんとしていた。

合格したかはわからないがとりあえず佐々岡さんと峰山さんは駅に向かう道路でも笑顔で話しているのが見えた。僕は注文したアイスコーヒーを口に含んだ。こんなにおいしいアイスコーヒーは初めてだった。理屈じゃない自信が芽生えてきていたが、僕は常用雇用型派遣のワナに落ちていたことにこの時気付いていなかった。

(小説)今日から派遣第1話「派遣社員になったきっかけ」④

僕は宮田リサイクルカンパニーの他に後日3社面接を受けた。

1つ目はグラフィックデザインの補助の仕事。僕は学生時代、野球の他に絵やデザインに興味があった。歴史の教科書の人物に落書きをして友達をよく笑わせたものだ。そんな奴はそこら中にいると言われればそれまでだが、まったく興味のない仕事をするよりはマシだと思って未経験可の募集に応募してみた。

結論から言うと撃沈した。デザイナーの男性と広告代理店の女性社長に面接をして頂いた。社長曰く、募集していた職種の担当の人が妊娠して休んでいるのだが復帰するかしないかあやふやらしい。だから僕をすぐ採用できるかわからないという。

僕は「だったらなぜ募集をかけた!?」と思った。僕はすぐ収入が必要だったし、採用になるかどうかわからない状態で日々過ごすのは地獄だ。結局後日連絡するとのことだったが連絡はこなかった。

2つ目は結婚式のビデオ撮影および編集の仕事。年配の社長に面接をして頂いた。

「この仕事は終わりがない。良い映像を作ろうと思えばいくらでも時間をかけられる。残業という概念はない仕事だよ。大丈夫?」

社長は僕にそう問いかけた。僕はクリエイティブな仕事はそういうもんだとなんとなく想像がついたので大丈夫だと答えた。

しかし社長は考え込んだ後

「せっかく大学を出たのにうちじゃもったいないんじゃない?」

と言った。結局不採用になった。

3つ目はカメラマンアシスタント。カメラマンのオーナーに面接していただいた。

オーナーは言った。

「実は女性が希望なんだよね。モデルさんにさわったりするから」

いや、だったらハローワークの職員が電話で問い合わせた時に断ってくれたらよかったのに。後でわかったがどうやら男女雇用機会均等法という法律で性別で断ったり、求人情報に性別優遇などは記載できないらしい。完全に無駄足だった。

 

僕はとりあえずクリエイティブな職業は横に置いておくことにした。そもそもいくら未経験可の募集でも自分の作品を作りためてないのに面接を受けてもアピールしようがない。僕の考えが大甘だった。別の仕事を探そう。

しかし僕はハローワークの検索パソコンの前で途方に暮れた。家から通える距離に自分のスキルを生かせる仕事がない。フォークリフト運転手は繁忙期だけの短期雇用ばかりなのだ。フォークリフトの腕には自信があった。リーチもカウンターも両方運転できる(リーチとは立って乗る小型のフォークリフト。カウンターは座って乗る中型、大型のフォークリフト)。だけど短期雇用なら常用雇用のバイトの方がマシだ。

僕は頭を抱えているとチラっと横のチラシコーナーが目に入った。コンビニの雑誌コーナーのようなラックに求人チラシがたくさん入っていた。どうやら県外求人コーナーらしい。そこに目を引く求人があった。

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正直僕の為の仕事だと思った。そしてのちに僕はこの会社に入社することになる。