(小説)今日から派遣第2話「入社」③
今日は新人研修の日だ。場所は研修センターで寮から会社の送迎バスで1時間はかかる。研修開始は午前9時。送迎バスの出発時間は7時20分だった。僕は6時半に起きて少しバタバタしたが遅れずにバスに乗り込んだ。するともう乗っている人が5人いた。みんな一緒に研修を受けるメンバーだった。4人が男性で1人女性がいた。一人だけ30代半ばと思われる男性がいたがその他はおそらく20代だ。僕は軽く会釈をして空いてる席に座った。もう何人か乗ってくるかと思ったが僕が最後だったようでバスは出発した。
僕も含めて新人のみんなは緊張しているようだった。バスの中は重い空気が流れている。一人ぐらい陽気な人間がいて話しかけてくるとも思ったが、そんなことはまったくなくただただ風景が流れていくだけだ。でも不思議と退屈しなかった。窓から見えるものはすべて新鮮だった。知らない土地を見るのは結構楽しい。30分くらいたつと徐々に都会になっていった。地元では絶対見ることはないような高層ビルが遠くにいくつも目に付く。そして工場や倉庫やらが増えてきて工業団地の中にバスは入っていった。バカでかい工場が乱立していて煙突から白い煙が空に向かって糸を引いている。そろそろ着くのかなと思っているとウィンカーの音が鳴り始めた。するとバスは敷地に入っていく。
ここが研修センターか。意外とこじんまりしている。2階建てのおおきなプレハブといったところだ。6人全員バスから下りると1番年上の30代の男性がすーっと入口に入って行ったので皆それについて行った。すると1階には管理職らしき男性が数名いてこちらを見た。新人は皆あいさつをすると元気に返してくれた。
「研修は2階なので好きな席に座って待ってて」
管理職らしき男性の1人が2階に行くようにうながしたのでその通りにした。2階に行ってドアが開いている部屋があったのでその中に入ると20名近くの人がいた。行きのバスの中とは違いガヤガヤしている。
こういう時のあるあるだが前の方はなんとなく席の空きが多かった。しかたなく僕はそこへ座った。筆記用具をカバンから出していると後ろの席の僕より年下と思われる青年が話しかけてきた。
「航空整備の人ですか」
「いや違います。物流課です」
「あ、それじゃ同じですね」
彼は関西のイントネーションだった。耳にピアスの穴が開いている短髪で薄い茶髪のちょっとチャラい青年だった。その後少し話したが、彼は前に別の国際空港の貨物倉庫で働いていて勤務時間が1日20時間近くにもなったことがあるというブラックな職場にいたという。いくら若くてもさすがに死ぬということで辞めてこの会社に転職したらしい。ここも同じ職場環境だったらご愁傷様である。いやそれはお互い様か。
開始5分前になったらエアカーゴクリエイティブというししゅうが胸にある作業着を着た40代後半くらいの少し髪が薄くなった小太りの男性が部屋に入ってきた。
「それではちょっと早いですけど、中途採用者の新人研修を始めたいと思います。起立っ!!」
「始めたいと思います」までおだやかな口調でいきなり「起立っ!!」と大声になったのでみんなビクッとした。全員速やかに立ちお願いしますとあいさつをした。
「声が小さい。もう一度」
研修の教官があきれたような顔をする。新入社員はもう一度あいさつをした。このやり取りがそのあと2回あって研修が始まった。
研修はまず自己紹介からだった。僕は前の席に座っていたので比較的すぐに出番が回ってきた。
「白浜光一です。25歳です。前職は冷蔵食品を扱う物流倉庫で夜勤アルバイトをしていました。フォークリフトオペレーター希望で入社しました。よろしくお願いします」
パチパチと散り散りな拍手が鳴った。それから先ほど話しかけてきたピアスの若者から次々に自己紹介がなされていった。地元に近い人は少なくほとんど地方から来た人で別の寮に入っている人だった。男女比は8:2くらいで男性が多く、20代が大半で30代が2人に40歳が1人いた。
「自己紹介は以上ですね。それではまず新入社員の心構えとエアカーゴクリエイティブの規則について説明していきます。ここに来ている皆さんは新卒ではなく中途採用者です。社会人経験がある方ばかりですので、事細かにはしません。聞いたことがある内容かもしれませんがきちんと聞いてください」
そう教官は前置きをして説明が始まった。内容は先輩や上司へのあいさつの仕方、寮での行動の仕方、5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)、報連相(報告、連絡、相談)、5W1H(だれが、いつ、どこで、なにを、なぜ、どのように)、ムリムラムダなどを新人への質問を織り交ぜながらのものだった。
これが1時間くらいあり休憩をはさんで今度は教官との質疑応答がメインだった。テーマは「会社で働くとはどういうことか」だった。教官は腕を組んで黒板の前を動物園の虎のように右往左往しながら新人に質問していった。
「会社で働くとはどいうことですか?」
女性社員は答えた。
「世の中に貢献することだと思います」
別の男性社員は答えた。
「お金を稼いで自分の夢をかなえることです」
別の男性社員は答えた。
「社長のビジョンを達成するために働くことです」
教官はそうですねというと下を見て少し考えるそぶりを見せた。そして教官は新人たちの目を見ながら言った。
「ここにいる皆さんは私を含めてサラリーマンです。会社という組織に雇われて働いているのであり社長ではありません。給料という対価を会社からもらって仕事をしているわけです。ではその給料はどこからきますか。それは会社がもたらす利益です」
教官は少しずれたメガネを定位置に戻しながら声高になる。
「社長から個人で1億円稼ぎなさいと言われたらそうしなければなりません。ではあなたが1億円稼ぐならどうしますか?えーと。では白浜さん」
げっ。急に来た。僕は肛門が閉まった音がした気がした。1億円を稼ぐなら!?ヤバイ。どうしよう。僕はない頭をひねりにひねった。
「1億円稼げる方法がわかったら今僕はここにはいません」
なんて言えるほど空気が読めないわけではない。しかし僕の頭にはそれしか浮かばなかった。
「わかりません」
とっさにでた言葉がそれだった。その堂々とした口調に笑いが起こった。新人たちの緊迫した空気が和やかなものに変わる。しかしその時イラっとした表情をした教官は次の言葉を発した。
「君はサラリーマンには向いていない」
あの言葉は僕にとって衝撃だった。今からこの会社で働こうという若者にいきなり「サラリーマンには向いていない」とはいかがなものか。あたりさわりのない返答ができない僕が未熟者だと言われればそれまでだ。しかしその能力がないのもまた僕なのだ。自信満々で言う事ではないが。
「それじゃ後ろの人答えてください」
僕は鮮やかにスルーされた。後ろのピアスの青年は
「現在成功している仕事を真似して大きくします」
と答えた。あたりさわりのない回答だ。僕は鮮やかに敗北した。年下のピアス君に。サラリーマンとしてかんぷなきまでに叩きのめされた。
それから次々に同じ質問がなされたが、他の皆はあたりさわりのない回答をしていた。少しさらに突っ込まれた質問をされた人もいたが「わかりません」を下回る回答はなかった。
それからほどなくして約2時間半の研修は終わった。後半はほとんど覚えていない。理由は言うまでもない。僕が筆記用具をカバンにしまっていると後ろのピアス君が
「白浜さん、さっきの回答めっちゃ面白かったです」
とすごい笑顔だった。僕は軽めの敬礼をした。サラリーマンとしては何も産み出せなかったけど、とりあえず関西人を少しクスっとさせたことは上出来だ。この研修で得たことはそれで十分だ。
研修が終わってからの皆が帰っていくのは早かった。皆、明日が勤務初日だ。それぞれが寮へ戻っていく。僕も速やかに送迎バスに乗り込んだ。他の新人と言葉こそ交わさないが、そこに研修センターへ来るときの重苦しい空気はなかった。
バスが発車すると僕はイヤフォンを耳につけた。少し現実逃避したい気分だった。僕はアニソンの「愛をとりもどせ!!」の「YOUはショック」という歌詞を聴きながら、大空に立ち上る工業団地の白煙を見つめた。